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お知らせ

ぴよ工房へのお問い合わせ

御無沙汰しておりました、復帰します

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    こんにちは、藤沢です。
    皆様、お元気でしょうか。
    大変長らくご無沙汰して申し訳ありませんでした。

    昨年、入院・手術などでしばらく療養していました。メールを下さった方々、返信できずごめんなさい。
    割と急に手術日が決まったものですから、親しい友人にもほとんど伝えないまま入院してしまいました。手術してから連絡しようなんてのんきに考えていたら、想定外の合併症でそれどころじゃなくなってしまいました。
    思いのほか回復に時間がかかり焦りましたが、ようやく元気が出てきたと実感してます。復帰しますのでよろしくお願いいたします。

    入院中にいろいろなことを考えました。強制的に休養するしかなくなり、この何年かのことを振り返る時間がたっぷりありました。英里さんの他界、義父である藤沢秀行の他界、他にも親しい方々の逝去が続き、震災があり・・・
    自分がこの局面を無事に切り抜けられるのか、ということも含めて、これから先どうやっていこうか、と。大袈裟に言うなら、どう生きてどう死ねばいいのか考えていました。

    藤沢の母の新著のあとがきを依頼されていたので、病院のベッドで最終の校正をしたのですが、亡くなった藤沢の父のことを思い出し、こんなところで寝てる場合じゃないなあと思いました。角川書店から『大丈夫、死ぬまで生きる』(藤沢モト著)が出版されています。良かったらぜひ御一読ください。

    この本には藤沢秀行名誉棋聖とシンガーソングライター河井英里との交流については書かれていませんが、いずれその話をここに書きたいと思います。「あの子とは何か縁があるんだろうねえ」と父が言っていました。「秀行先生が下の病室にいるなら安心だわ〜」と最後の入院で言っていた英里さんの笑顔を思い出します。二人は同じ日に同じ病院に入院、英里さんが先に他界しました。

    今日、五月八日は藤沢の父の命日です。そして英里さんの誕生日。
    いつも二人のことを一緒に思い出すのです。これから先もずっと。


    ところで、追悼コンサートの時に会場で英里さんの未発表MP3をプレゼントいたしました。MP3は何種類かあり、プログラムにそのうちの1曲のダウンロード先が記載してある、というプレゼントでした。
    本日、英里さんのバースデイなので、その折に配布したMP3をプレゼントしたいと思います。
    このブログについている「ぴよ工房へのお問い合わせ」メールフォームからお申し込みください。ダウンロード先のURLを御申し込み順に割り合てますのでどの曲が当たるかはランダムになります。昨年の追悼コンサートですでにもらっている方は、この曲じゃないのにして、と一言御記載ください。
    6月8日まで受け付けます。

    本当に長い留守で申し訳ありませんでした!
    皆様もどうか健康に気を付けてお過ごしください!!





    英里さんのペンダント

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      こんばんは、藤沢です。
      8月9日の「指輪のゆくえ」で触れたペンダント(英里さんが亡くなったお母さんの形見の指輪で作ったペンダント)の写真を見つけました。出来上がってきたのが嬉しくて、携帯で写真を撮って送ってくれたのです。日付を見たら2007年の4月でした。アクセサリーを買うこともありましたが、普段メールで送ってくる写真といえば、まず料理、次に問合せ用画像(これどうすればいい?とか、このシールドはどこにつなぐ?とか)、それから風景、たまにイベント(お祭りとかマラソンなど)だったので、アクセサリーの写真は珍しかったです。よほど嬉しかったのでしょう。

      もうひとつ、オマケ。たまたま今日と同じ10月17日(2007年)に英里さんが撮った写真があったので。

      これは携帯での試し撮りです。ちゃんとしたカメラで撮る前にざっくりしたイメージを考えている最中の一枚。たぶん英里さんの自宅の居間ですね。灯りを使って、何かを表現する作品を撮りたかったようです。
      2007年は英里さんにとって良い年だったなと思い出してます。

      金澤翔子ちゃん

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        引き続き藤沢です、こんばんは。
        英里さんの追悼コンサートで柳田泰山先生が席上揮毫をしてくださいました。
        今日は泰山先生のお弟子さん、ダウン症の書家として活躍中の金澤翔子さんのことをお伝えしますね。

        翔子ちゃんと最初に会った時「同じだね、ふたごさんだね」と言われて以来、私は「ふたごさん」です♪名前がショウコなので。
        ダウン症というのは21番染色体が1本多い、先天性の疾患です。身体的に知的に発達が遅れていたり、合併症があったり。日常生活でも何かと苦労が多いことと思います。
        でも翔子ちゃんと一緒にいると、自分の方が「1本足りない」んじゃないかと思うんですよ。あの純粋な心、得をしようとか、うまくやろうとか思わない、まっすぐな眼差しは、私が落っことしてきてしまった一本の中にあるのかも。
        翔子ちゃんは英里さんともお付き合いがありました。翔子ちゃんのお祝いの会で英里さんが歌ったり、英里さんのライブに翔子ちゃんが来てくれたり。楽しい時間を一緒に過ごしました。
        英里さんが亡くなったあと「河井さんに会いたい」と泣きじゃくってた翔子ちゃん。「お空にいるね、わたしのお父さんもお空だよ」と目に涙をいっぱいためてるくせに、一生懸命笑おうとしてました。
        追悼コンサートの日にもお母様と一緒に来てくれて、「河井さん、歌ってるよ」ってニッコリして教えてくれました。そうだね、空の向こうでいっぱい歌ってるよね。悲しい時でも翔子ちゃんがいてくれてとてもありがたかったです。今も耳を澄まして英里さんの歌を聴いてくれてる、本当に嬉しいですよ。
        展覧会にイベントにと大活躍の翔子ちゃん。今こうして花開いているわけですが、小さい頃からお母様がどれほど気持ちと力を注いで育ててこられたことでしょうか。書道の先生として、母親として、大きな大きなお仕事をなさったのだと思います。翔子ちゃん自身の頑張りと二人三脚だったのでしょう。皆様もぜひ、翔子ちゃんの作品をご覧になってください!
        来年のNHK大河ドラマ『平清盛』の題字、そして『世界体操東京2011』番組テーマソングになっているゆずの『翔』(シングル、11/30発売)でもジャケットを揮毫しています。翔子ちゃんの「翔」ですね。
        翔子ちゃんの師匠である泰山先生はダウン症だから手加減したり、手伝ったりすることは絶対にありません。翔子ちゃんも根性があって、できるまでお稽古します。どんなに疲れても、自分から「出来ない」「休みたい」とは言わないので、オーバーワークを気を付けてあげないといけないくらいです。
        ジャケット用の「翔」という作品のことで「ゆずの眼鏡の方の人が来たよ」と泰山先生。いえ、先生、お二人とも眼鏡じゃないんですけど(笑)ちなみに作詞・作曲は北川さんです。楽しみです♪

        報告2:河井英里追悼コンサート

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          藤沢です、おはようございます。
          雨ですね。ボタボタ降ってます!降るごとに寒くなっていくのでしょう。

          英里さんのマネージャー、篠原さんがあちこちに連絡してくれているので、その返事を待ちつつ、あれこれとお話ししていきたいと思います。小さな写真でも了解をいただかないと載せられないのでお待ちくださいね。
          仕方ないのでとりあえずこれを。
          追悼コンサートではぴよ工房の小河さんは裏方に徹してました。中でも当日、密かに大事だったのがスクリーンの上げおろし。自動じゃなかったので、ヨイショヨイショと手作業をやってもらいました。この写真はスクリーン前でARIA関係のトークが行われているところです。
          小河さん、一回、上下を間違えましたよね・・・・汗。方向音痴の能力がこんなところでも発揮されていました。

          それからこれは昨日アップした赤い写真のドレスを着てる英里さん。
          いつものアー写とは違うバージョン。どれにしようか選んだ時に「ちょっとふざけ過ぎ?」と悩んで、いつも使っている方を採用してました。たしか赤坂レッドシアターのコンサート用に撮影したんじゃなかったかな。スタジオが池袋だったので私も見学しに行ったんです。終わってからベトナム料理を食べたいと張り切っていたのに店が休みでした。代わりに何を食べたんだろう・・・思い出せません〜〜

          思い出せなくてスッキリしないので、他の店を御紹介。この店を好きな人がみんな言うように、本当はあまり紹介したくないのですが(笑)
          ぴよ工房の近所にあって、英里さんもお気に入りだった店です。「レストラン イデオ」(Hideoのフランス語読み)というフレンチ。有機野菜を使っていて「野菜を美味しく食べてもらいたい」という店だとか。エゾ鹿や羊なども美味しいです。野菜や果物のはじっこを丁寧に使ってプティフールにしたり。お店の雰囲気は雑然とした昭和な感じで、イデオさんと思われるシェフは一人で忙しく愛想はないですが、真面目な感じの人です。全然オシャレじゃないところがまたいいんですよ。「こういう料理を出したい!」と熱意がすごく伝わってきて英里さんも私も好きでした。10人くらいしか入れないので、ランチにいらっしゃるならお早目に。ランチが945円、デザートも飲み物も付いてます。

          ぴよ工房宛にメールをくださった皆様、本当にありがとうございます。御返事が遅くなってすみません。ゆっくり返信を書かせてください。


          報告1:河井英里追悼コンサート

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            こんばんは。
            追悼コンサートの写真の掲載許可を待っているところなので、その間に別の写真を載せてみますね。



            いずれも英里さんが撮影したものです。
            風景がほとんどですが、上記の赤い一枚、なんだかわかりますか?
            たぶん皆さん、ご覧になったことがあるはずです。
            英里さんが来ていたドレスなんですよ。ポートレートでも着ています。
            気にいってる服でした。
            花のあたりを少しぼかして、雰囲気を出して撮ったらしく、ドレスだけでなく写真の方も気にいっていたようです。
            手帳に挟んで持っていました。
            小さなピアノはオルゴール。聞こえてくるのは「シャ・リオン」です。

            写真を習いはじめてからずっと、ライブの時にプロジェクターを使ってスクリーンや壁に映したい、と言っていました。渋谷クラシックで一度やろうとしたのですが、作品が間に合わず・・・残念!赤坂レッドシアターはそういう感じのライブではなかったので、この次こそやるからねと言ってたのです。

            追悼コンサートでは、英里さん撮影の写真に子供の頃、学生時代など思い出の写真も加えて、さりげなく会場に映しました。『Oriental Green』の「メモリアルDVD」制作に参加した田山雅也さんが映像の操作をしてくださいました。

            湘南へ行ったり、都内のあちこちに行ったり、カメラを持って一人で撮影に出ることがよくありました。メカ音痴でありながら、ものすごい頑張りだったと思います!ふーふー言いながら取り組んでましたから。
            ちょうど今頃、秋のはじめの気候の良い休日に「撮影してきたよ♪」と満足そうに連絡がきて、「お腹すいちゃった!何食べる?」って嬉しそうに笑っていたなあ・・・・

            月光天聲

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              河井英里追悼コンサートで書家の柳田泰山先生に席上揮毫していただいた書をアップします。
              光田康典さんの曲「月の調べに」が流れる中で揮毫してくださいました。
              「月光天聲」(げっこうてんせい)・・・英里さんのイメージによる泰山先生の造語です。
              (クリックすると大きな画像が開きます)


              ポチポチですみませんが、追悼コンサートのあれこれ、その他のこと、少しずつアップしていきますのでよろしくお願いいたします。



              「海まで歩く」〜福島県浪江町〜

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                ぴよ工房の藤沢です。
                しばらくブログが滞っていて大変申し訳ありませんでした。
                少し落ち着いたのでブログを再開したいと思います。
                8月の追悼コンサートについてアップする前に、私のプライベートなことですが英里さんのアルバムにも関係があるので記載させてください。

                3月の震災・原発事故からもうじき7ヶ月。寒かったあの日から春、夏を抜けて、お彼岸も過ぎすっかり秋です。
                あまりにも多くの方が亡くなりました。復興もなかなか進まず、被災された方々はどれほど辛くしんどいことでしょうか。

                河井英里さんのアルバム『オリエンタル・グリーン』の「音の葉便り」に「海まで歩く」という曲が収録されています。
                小河さんが作曲、藤沢は作詞で英里さんが歌ってくれました。
                その時のレコーディングはとても楽しくて良い思い出です。
                ぴよ工房の近所の「伊勢屋」さん(オジサンは無愛想だけど実は親切)という和菓子屋で買ってきたお団子を食べながら、のんびり録音しました。
                お天気がよくて、穏やかで・・・幸せだったなあと思います。

                「懐かしい風景の歌だね。凛として前へ進む気持ちで歌える」と英里さんが言ってました。
                歌われている風景は福島県の浪江町。私の父の実家があります。
                子供の頃は毎年、お盆が近くなると遊びに行ってました。
                浪江町は福島第一原発のある双葉町に隣接しています。父の実家は直線距離にすると原発まで10キロもありません。


                お盆になると父の兄弟姉妹が子供連れで帰省するので、祖父母の家には子供だけで十人以上集まっていました。
                いとこ達と遊んだり、ホタルやセミを採りにいったり。
                海が荒れてくる時期なので、波にのまれながら泳ぐと水着の中が砂でいっぱいになりました。
                いつも仏壇に桃が上がっていたせいか、桃の香りが夏の記憶に残っています。

                田舎へ行く密かな楽しみが「蔵」でした。
                父の実家は造り酒屋なので、大きな酒蔵があります。
                蔵で働くおじさんやおばさんと一緒になってお手伝いの真似ごとをするのが楽しくて、祖父に叱られても、妹と連れ立ってしょっちゅう行ってました。
                酒瓶が崩れて怪我人が出たことがあり、祖父は心配して「蔵さ行ぐな!」と言うのですがこっそり忍び込みました。
                蔵は真夏でもひんやり涼しく、しんとしていて、秘密が隠されていそうな不思議な場所でした。

                祖父は時代劇に出てくる老武将めいた風貌で、怒ると雷が落ちました。
                厳しくても優しい人でしたし、私はおとなしい子供だったせいか怒られた記憶がありません。可愛がってもらったと思います。
                請戸川の鮭のやな場に連れていってくれたものです。やな場は曽祖父の代に町で組合をつくってはじめた事業と聞いています。
                私が子供の頃、祖父は所長でした。
                鮭の卵を人口孵化して育て、稚魚を放流するのです。四年もたつと鮭は大きくなって帰ってきます。
                近年では東北最大のやな場になったと聞きました。
                祖父は孵化の様子を説明をして、きれいな水があるから美味しいお酒も造れるし鮭もいっぱい帰って来る、そんなことをまだ小さい子供の私に話してくれました。

                台風の影響で海が荒れ泳ぎに行けなかった年、東京に戻る前にどうしても海が見たくて、従兄に連れていってもらったことがあります。
                畑の中の細い道を歩き、潮の香がしてくるともうじき海岸。
                水平線に向かってどこまでも歩いて行ける、そう信じた遠い子供時代の夏でした。

                あの町も田畑も港も海岸も地震と津波で破壊され、浜に立つと見える第一原発が煙を吐き・・・・

                失われたものが大きすぎます。
                こんなことになるとは考えてもいなかった、本当に自分は愚かであったと思います。

                私には何ができるんだろう・・・

                復興まで長い長い道程となりそうです。
                でも東北の人は粘り強くて、底力があるので大丈夫。
                都会で暮らす自分の方がずっとひ弱で情けない気がしてます。
                先が見えない不安の中にいる方々が一日も早く、安堵して過ごせる日常を取り戻せますように。




                いか

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                  藤沢です。さきほど本日のブログはアップしたのですが、「落し物」(小河)と書いたとたんに蘇ったことがあったので書かずにはいられず連投します。

                  小河さん、英里さんとライブを見に行ったときのことだったと思います。渋谷で待ち合わせでした。
                  あと15分位で着くと連絡しようとしても小河さんの携帯が通じないのです。どうしたのかと思っていたら、英里さんから電話が。
                  「小河さんってば、携帯を落としちゃったんだって。ここにいるから替わるね」
                  で、どう対処したのかと聞くと、「何もしてない」とのこと。
                  届け出もしてないし、問合せもしてないし、そのまま待ち合わせの喫茶店に行っちゃったのだとか。
                  こらこらこらーーーお茶してる場合じゃないでしょ。届いているとすると池袋の駅だとわかったので、ちょうど池袋にいた私が代理で(というより、小河のふりして)遺失物係へ行きました。

                  携帯ってものすごい数が遺失物として届いているんですね。
                  担当の駅員さんに落としたと思われる電車や時刻、乗っていた車両などなど、小河さんから聞いたことをそのまま伝えると「それなら届いていると思います」という回答が!良かった!
                  ところが1個ではなく4個持ってきてくれて、殺人犯の首実験みたいな状態に。
                  小河さんはストラップを付けてなかったのでかえってわかりやすく「これです」と指差したのですが、
                  「あなたの持物かどうかはっきりわかるような特徴とか、プロフィールが入ってるとか、ありますか?」と言われ困ってしまいました。ううーん・・・特徴と言っても・・・

                  そこでひらめいて、ああ、これしかない!と思って言ったのが
                  「電源を入れると液晶に『いか』って表示されます」
                  「イカ?『いか』ですか?」
                  「はい、『いか』です」

                  駅員さんが電源を入れると、液晶に「いか」という文字がくっきり。
                  大笑いされましたよ、もう!
                  「わかりやすくていいですね」とまで言われたのちに返却してもらい、サインもして、待ち合わせの渋谷へと急ぎました。英里さんまで「いかって・・・いか・・・」と笑って涙目になってました。

                  携帯がストレートで白かったので「いかみたいだ」と言ってなぜかトップに「いか」と打ち込んでいた小河さん。
                  恥ずかしいからやめましょう。
                  落とさない、又は妙なものを入れない、どちらかでお願いします。

                  戦友

                  0
                    藤沢です、こんばんは。岩代さんが語ってくださった話を書いていてふと思い出したことがあります。
                    十年近く前、ぴよ工房の小河さんと一緒にある事務所のお手伝いをした時のこと。当時ソイツァーミュージックにいらした福岡智彦プロデューサーを通しての依頼で、十代の女の子の歌録りをしました。事務所の社長さんは仕事は厳しくやってらっしゃる様子でしたが、気さくな人柄で、とても奇麗な女性でした。モデルさんや女優さんが多い事務所だったようです。

                    毎度毎度、小河さんと二人で行っていたわけですが、ある時その社長さんにふいに「二人はどういう関係なの?恋人同士?夫婦?」と聞かれました。男女のワンペアでいると勝手にそう思われるのはよくあることで、「お子さんにどうぞ」とお土産までもらっちゃうこともあり・・・。
                    「いやいやいやいや・・・・そういう男女の仲は全くなくて、長い間一緒に音楽やっていて、相棒というか、仲間というか、今に至ってはほぼ親戚みたいな状態というか・・・」と説明していたら、社長さんが「あ、わかった!戦友ね!」とおっしゃったんです。
                    「そっか。私にも男性の戦友がいるからわかるわ。そういうのを戦友って言うのよ。心強いわよね」とうなづいてらっしゃいました。

                    ああ、なるほど。「戦友」。すごくよくわかりました。

                    小河さんにしても、現村さんにしても、信頼できる仲間がいることは本当にありがたいと思ってます。
                    忘れ物をするし(小河・現村)、日本語がおかしいし(現村)、乗り物酔いをしがちな私よりも先に酔うし(小河・現村)、落し物をするし(小河)、方向音痴だし(小河・現村)本当に世話が焼けてしょうがな・・・あれ?・・・ありがたいんだか、あり得ないんだか・・・・汗・・・いえ、いつも感謝してますよ。

                    さなやアッチはボーカルなので、戦友っていうよりは歌姫でお姫様なんですけどね(笑)
                    頑張って歌おうね。

                    ぴよ工房一同、自分達ができることを精一杯やりたい、と思っています。


                    指輪のゆくえ

                    0
                      藤沢です。
                      河井英里追悼コンサートが無事に終わって、やっとひとつほっとしたような気持ちになっています。
                      三年もかかっちゃってゴメン、英里さん。
                      でもみんなみんな、集まってくれたから!
                      会場に行けないけど心で参加します、っていう人達も大勢いてくれて、本当にありがたかったです。

                      当日の様子は後日、写真が出来てきたらちょこっと載せつつ、御報告したいと思います。

                      御忙しいところ、英里さんの大学時代の友人で作曲家の岩代太郎さんがコンサートにいらしてくださり、思い出話を披露なさいました。
                      岩代さんのお話をまとめますと・・・
                      大学時代に岩代さん御一家と英里さんはハワイに旅行したことがあります。
                      あ、すみません、ここ、芸大のお友達2,3人から「二人で行ったんじゃなく家族旅行だったときっちり書いてちょうだいね!」と言われてます。ええ、そうなんです。英里さんは岩代さんの妹さんと仲良しで、御両親とも親しく、御家族に混じって遊びに行ったりしていたんです。
                      その旅行で英里さんは亡くなったお母さんの形見の指輪をしていました。それはダイヤモンドが入った結婚指輪でした。

                      飛行機でお手洗いにいった時、英里さんは洗面台で指輪をはずして置いたまま、うっかり忘れて出てしまったんです。次の人が入ってすぐ気が付いたので、ドアの外で待っていて、その人が出てすぐに見たけれど・・・どこにもありません!
                      絶対にあの人が持っていった!とわかったので、英里さんは岩代さんに頼んでその人の座席まで一緒に行ってもらい、返してくださいと泣いて頼んだそうです。亡くなったお母さんの形見なので、どうか返してください、と。岩代さんも一生懸命説得してくださったそうです。
                      知らんぷりをされたり、逆切れをされたりして大変だったそうですが、最終的には返してもらえたとか。

                      周囲の目も何も気にせず、ただただ返してもらいたいと子供みたいに泣いて、心の底から懇願する姿が岩代さんの印象に残っていたのでしょうね。きっと泣きながらもまっすぐ相手の人を見つめていたのだと思います。

                      やっとの思いで取り戻した指輪ですがその後、日常に使うことはなくなり、大事にしまってありました。
                      その指輪がどうなったのか、おそらく岩代さんは御存知ないでしょう。先日はお話する暇がなかったのでいつかお伝えできればと思います。

                      四年くらい前だったでしょうか。英里さんは宝飾関係の仕事をしているお友達に頼んで、指輪をペンダントに作り変えてもらいました。ひとつぶダイヤのペンダント、控え目ですがキラキラしてきれいでした。宝石類にさほど興味のない英里さんでしたが、とても喜んでよく身につけていました。

                      そして3年前の8月4日。
                      お友達がお化粧をしてくれたあと、そのペンダントをつけてくれました。
                      岩代さんが一緒に頑張って取り戻してくれた指輪は、今、英里さんと一緒に天にあります。
                      ありがとう、岩代さん。

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